【初の中東】ドバイとの出会い

ドバイ

入社翌日にドバイへ。そして3日後ガイドデビュー

【ドバイ初日】

約20年前、お正月明けの1月初旬に僕はドバイへ飛ばされた。

海外のホテルやガイドなどを手配する“ツアーオペレーター”に入社したすぐのことだが「ドバイが忙しくて、人手がないから!」というのが理由だ。

そんなご無体なぁ・・・。 と思ったが断る事も出来ず、社長は”1ヶ月間だけのドバイ“で「その後は 大阪で働かせてあげるから」というので僕は嫌々スーツケースに荷物をつめた。

出発前にドバイオフィスで働く女性のパイセンから「○○のドバイガイドブックをすべて暗記してきて!」とメッセージを受け取る。 丸暗記だとぉ~・・・。僕はドバイで何をするんだぁ??

何も覚えないとどやされるのは目に見えているので、僕は<成田-香港-バーレーン経由>ドバイ行きのキャセイ航空機内でそのガイドブックを必死で丸暗記した。 

ただ、見たこともない都市の ガイドブックをなんとか丸暗記したとて、本当にそれが役に立つのか・・・という不安はMaxだ

そして、僕はそのガイドブックを丸暗記した。(と、思う。したはずだ!)

20年前はまだエミレーツ航空は就航していなかったのでキャセイ航空を利用したのだが、飛行時間は 経由地での待機時間を入れて20時間ほどのフライトとなる。

僕はそのほぼすべての時間で手にガイドブックを持っていた。その時、僕は鏡で自分の顔を見ていないがきっと目の下にクマができていたに違いない。<補足ですが当時キャセイ便はバーレーン経由でした>

ドバイ国際空港に到着。 

今は日本人はもちろんビザは不要だけど、当時はビザが必要で入国審査前に現地旅行会社の空港担当のスタッフから事前に申請をして、発行された“ドバイ査証(VISA)”を受け取る。

入国審査のあと、出口のところで「丸暗記して!」といった女パイセンが待っているはずなのだが、そこに日本人女性の姿はなかった。 空港出口付近にはインド人ばっかがズラッとローマ字で書かれた名前のボードを持って立っている。 

僕はジッーと見渡してその中に自分の名前が入ったボードを持っているインド人を見つけた。

僕がそのインド人に近づくと彼はニコッと笑って一枚のメモを渡す。 そこには女性パイセンから「急に仕事が入って迎えに行けません。そのインド人が車でホテルまで送ってくれるのでそれに従って!」と書かれていた。最後に「明日の朝、8時に迎えに行きます」とも書いてある。

今のドバイ国際空港はとても大きく綺麗で世界を代表するような国際空港ですけど、20年前のドバイ国際空港は夜に到着したこともあるかもしれないが、なんかどんよりしていて空港にいるのはインド人やパキスタン人ばかり。

その時はインド人とパキスタン人の区別がつかないので、みんなインド人に見えて空港を出た瞬間に「あれ~、間違ってインドに来ちゃったのかなぁ・・・」と僕はふと思ったのであった。(マジで思った) “不安Max=100%”だとすると、この時点で僕の不安は120%に到達。

インド人が運転する車でホテルに到着する。このホテルは厳密的に言うとドバイ首長国ではなく、すぐ隣の“シャルジャ首長国”にあるホテル。

世間では2星や3星、最高の5星などとホテルのランクを表してますが、僕が1ヶ月間滞在するこのホテルは「えっ、星付きのホテルって何ですか??」とレセプションのパキスタン人スタッフが不思議そうな顔で言いそうなレベル・・・。

話は逸れるが、このパキスタン人は仕事を終えるとレセプションの前にあるソファーで就寝する。そう、毎晩。

僕は真夜中の2時や3時にホテルに戻ってくると、ぐっすりと眠る彼を起こさないようにそぉ~と物音を立てずにエレベーターのボタンを押す。

もちろん、彼は気づいていない。

しかし、エレベーターが到着したときに鳴る「チーン!」で彼はいつも飛び起きるのでした。 彼は慌てて立ち上がって周りをくるくる見渡し、僕の姿を見つける。 でも彼はこの時点では寝ぼけていて、すぐに僕が誰だかわからないようだ。 そして、エレベーターの扉が開いたころにようやく僕の存在に気づく。

僕は「おやすみ~!」と手を振ってエレベーターに乗り部屋に戻るということを幾度となく繰り返したのであった。

それこそ言っちゃ悪いが“汚いルームキー”を受け取り、部屋の扉を開けた瞬間に小さいゴキブリ君の団体様20匹ほどがサァ~と散って隠れよった。(日本の中華屋さんとかによくいるタイプのゴキブリ) 僕はその急いで隠れゆくゴキブリ様の風景を見て、開けた扉のノブを握りしめたまま1分ほど固まった。(いや、動けなかった) ふと我に返り、勇気を振り絞って部屋中に入った僕はとりあえずトイレに行く。

そして、そのトイレでまた1分ほど身体が固まる事件が勃発。 トイレの便器を見ると、便器のフタもなければ“便座”も無い。 何にも無い・・・。 フタは別になくてもいいけど、便座はあってもいいのではないか・・・。 普通の暮らしをしている人間なら、そりゃ固まりますよね。

そこで考えるボク。 「便座は誰かに盗まれたのかなぁ??? いや、これが普通かぁ???」しばらく考えてはみたものの、特に答えが出せるわけではないので小便だけ済まして僕は寝ることにした。

【ドバイ2日目】

朝8時に女パイセンが迎えにきた。 僕はこれからに向けて丁寧に挨拶する。

ボク:「今日からよろしくお願いします!」 深々と頭を下げるボク。

女パイセン:「よろしく~! ねぇ~ねぇ、ちゃんと覚えてきたガイドブック? 明日からガイドをしてもらうからね~」

ボク:「えっ・・・」 何を言ってんだ、このねぇ~ちゃんは?

女パイセン:「明日から1人でガイドしてもらうから、今日はそのドバイ市内観光コースをやさしく実際に回って説明するからね!」

女パイセンは満面の笑顔だ。きっとこの僕の状況を半分楽しんでいるに違いない。

見るからに僕より年下の女パイセンは見た目は勿論のこと、この言動からも優しくしてもらえるとは ゼッタイに思えない。 そもそも自分から「優しく説明するから!」という人間が実際に優しいことってあるんだろうか・・・。 本当に優しい人は「私、すっご~く優しいの!」なんて自ら言わないんじゃないのか、普通は。

女パイセンはたたみかけるように言葉を続ける。

女パイセン:「ねぇ~ねぇ~、ここってトイレの便座が無いんでしょう。どうやって座るの?」

と無神経に言ってきた。 なんで、便座が無いこと知っとんねん!

僕は一言「そんなこと、着いたばっかりでわかんないッスよ・・・」と言った。 実際にその時はわからないんだから答えようが無い。 今は何でも情報はググれば分かるんだけど、この当時は知るすべが無かった。

シャルジャ首長国について簡単にご説明したい。 アラブ首長国連邦にはアブダビ、ドバイを含めた7つの首長国があります。その一つが“シャルジャ首長国”でドバイからは車で約30分。(昔はドバイから30分ほどの移動時間だったけど、今は家賃の安いシャルジャがドバイのベッドタウン化して朝夕はいつも大渋滞。1時間は必要ですね)

本当に小さい首長国で海岸沿いを10分も車で走れば、またすぐ隣の“アジマン首長国”にいけます。このシャルジャ首長国は国すべてがお酒の提供ができないので、ツアー客でお酒の必要な人はランチとかは隣の“アジマン首長国”やドバイに戻ってから食べた方がいいですね。

この時点でドバイに到着してからまだ10時間。 そして24時間後には福岡から来たハネムーナーを1人でホテルまで迎えに行き「ドバイ市内観光」に案内しなければいけない。それもガイドとして。

これって世間的によくないことですよね、きっと。

※この頃のドバイはガイドをするのにまだ”ライセンス制度”がなく、誰でもガイドが出来ましたが、現在はドバイ政府観光庶務局が主管として”ガイドライセンス”の取得が必要となっています。(日本語、アラビア語、英語とそれぞれのライセンスがあります)

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